いつもの散歩道からちょっと足を延ばして港区の坂道を味わい尽くしてみよう。

麻布エリアは武蔵野台地の外れにあたり、地形的には多くの尾根や谷が入り組んでいます。そのため都心でありながら坂の数がとても多いのです。

麻布ガイドではこれまで麻布エリアの坂道の由来や面白ポイントの記事を「麻布の坂道」シリーズで紹介してきました。街歩きをする人や新しくこの付近に越して来た人たちからはかなり人気の記事のようです。

そんな「麻布の坂道」シリーズに対し、あのタモリ氏が「お江戸・東京 坂タモリ 港区編」という書籍を出します。

なんでも18年ぶりの著書で、このために「日本坂道学会」を再起動し、「坂道写真家」として自ら港区を回って坂道の写真を撮影したそうです。

そこで紹介されているのは港区の ”名坂” が87坂。どの坂道が取り上げられているのか気になりますね。

麻布ガイドではそのタモリさんの「お江戸・東京 坂タモリ 港区編」出版に便乗して、港区編で取り上げられている坂道を紹介してみます。

本の発売は2022年10月12日予定。この記事とタモリさんの本を読み比べながら、いつもの散歩からちょっと足を延ばして港区内の坂道を探索するのも楽しいと思います。

坂タモリ 港区編の表紙は三田の幽霊坂ですね。麻布ガイドではまだ紹介していない坂道です。


三田の坂道

坂タモリでは87の坂道を14のお散歩コースに分けて紹介しているようです。

まずは「三田の坂道」紹介。綱坂、神明坂、日向坂を取り上げられています。

▲三田の日向坂に設置されている「三田坂めぐり散歩」という案内板。

だいたいこれで位置関係は分かるかと思います。

綱坂 (つなざか)

三田の綱町にあるので「綱坂」。

”綱” は羅生門の鬼退治で有名な平安時代の武士、渡辺綱に由来していて、それでこの付近は ”綱町”といいます。

▲あの鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルの手になる「綱町三井倶楽部」の横から下る「綱坂」。

このまま下ると左手にはイタリア大使館、慶應義塾大学と続き、右手は三井倶楽部、慶應中等部と続きます。坂下で桜田通りと交わる辺りにはにはラーメン二郎の三田本店があります。

桜田通りと麻布十番、東麻布との抜け道に利用できます(ただし自動車は登り方面への一方通行)。

神明坂 (しんめいざか)

綱町三井倶楽部とオーストラリア大使館の間の信号から北側に下る坂が「神明坂」。

▲坂を下った途中に「天祖神社」(元神明宮)があることから神明坂と呼ばれているようです。

神明坂自体は天祖神社の先もまだ続き、中の橋のところに通じています。

中の橋と三田を結ぶ近道なのですが、クルマは下りへの一方通行です。

日向坂 (ひゅうがざか)

麻布十番の「二之橋」の橋から三田へ続く坂道です。

日向坂と書いて”ひゅうがざか” と読みます。アイドルグループの方は ”ひなたざか” なので読み方がちょっと違いますね。

麻布通りの二之橋交差点から日向坂へ。

江戸時代に毛利日向守の屋敷があったので「日向坂」と呼んだようです。

坂の頂上付近にはオーストラリア大使館と綱町三井倶楽部があり、その先は「綱の手引き坂」と名前が変わります。

桜田通りと麻布通りを結んでいる、交通面ではかなり重要な坂道です。

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赤坂の坂道

赤坂には有名な坂道がいくつもあります。なにせ地名自体が”赤坂”ですからそもそも坂道が多いのです。

南部坂 (なんぶざか)

出た!って感じですね。港区民でも混乱してしまう南部坂問題。じつは ”南部坂” は赤坂と南麻布の2箇所にあり、しかもどちらも江戸時代の南部藩にちなむもので名前の由来も同じ。

▲こちらの南部坂は、赤坂氷川神社と今の六本木二丁目を結んでいる坂道の方です。

この写真は坂下から上の方を見たところ。

南部坂の標柱が立っている左側の塀はアメリカ大使館職員宿舎。江戸時代は松代藩真田家の屋敷だった場所です。

肝心の南部藩の屋敷はこの坂の右側になります。

▲南部坂の下の方にはこのような石碑まで建っています。

舞伎の忠臣蔵には「南部坂雪の別れ」という有名な場面があって、この南部坂がその舞台になっているのだそうです。

檜坂 (ひのきざか)

檜町公園沿いの坂道が「檜坂」。檜町公園の住所は赤坂ですが、むしろ六本木の東京ミッドタウンに隣接している公園という認識の人が多いと思います。

江戸時代は毛利藩の屋敷で、檜の木が多かったころから檜屋敷と呼ばれていたそうです。その檜屋敷沿いの坂道なので檜坂になったようです。

▲これは坂下から。右はかつてSMAPのメンバーがちょっとした事件を起こした檜町公園。

坂道自体は上の信号のさらに先の突き当りまでが檜坂です。

氷川坂 (ひかわざか)

赤坂の街から赤坂氷川神社へ登る坂道は2本あって、そのうち東側の坂道が「氷川坂」です。

途中には「転坂(ころびざか)」があったりします。

▲氷川坂が有名なのはやっぱり勝海舟の影響だと思います。実際赤坂には勝海舟の旧居跡など史跡も多いですし。

坂道巡りをしながら寄り道するなら「勝海舟・坂本龍馬の師弟像」。氷川坂からもすぐ近くです。

本氷川坂 (もとひかわざか)

赤坂氷川神社の東側の坂道が「氷川坂」で、西側の坂道を「本氷川坂(もとひかわざか)」と呼びます。

昔ながらの細くて勾配の急な坂道です。また氷川坂の方がそれなり交通量がありますが、本氷川坂は交通量も少なく静かな環境です。

▲これは坂の上、赤坂氷川神社脇に立つ標柱。

坂下には勝海舟の旧居跡(今はマンション)があり、そこに住んでいた頃に坂本龍馬が訪ねて来たのだそうです。

この辺りを散策するのは歴史ファンにはたまらないのではないでしょうか。


麻布谷町の坂道

赤坂氷川神社とは今の六本木通りを挟んで向かいに位置する、六本木〜六本木一丁目〜溜池の辺りも坂道が密集しています。

地形的に谷を形成しているので、昔は「麻布谷町」という地名でした。首都高のC1都心環状線と3号渋谷線の「谷町ジャンクション」にその町名が残っていますね。

寄席坂 (よせざか)

高台にあたる六本木から川や道路が谷へ下っていて、今でも当時の川や路地筋が坂道となって残っています。

「寄席坂」もそんな坂道の一つ。

▲坂道の途中に寄席があったから「寄席坂」。明治から大正時代にあった寄席ということなので意外と最近名付けられた坂のようです。

この写真は坂の下の部分。六本木通りの「市三坂(いちみざか)」と交わるところです。

丹波谷坂 (たんばだにざか)

今の六本木墓苑がある辺りは「丹波谷」という谷になっていたので、そこに下る坂道が「丹波谷坂(たんばだにざか)」です。

名物の「カレーパン」や「代官山ラスク」が有名ですし、ひと目で分かる包装紙もある種のステイタスを感じさせることで有名です。

▲六本木3丁目、今の三井ガーデンホテル六本木のところから六本木グランドタワーへの道筋からは、寄席坂、丹波谷坂、不動坂、なだれ坂(長垂坂)といった坂道が六本木通りの方へ下っています。

この写真は丹波谷坂の一番上に立っている標柱です。

▲これは坂の一番下。

丹波谷の底にあたるエリアになります。

閻魔坂 (えんまざか)

丹波谷の底と外苑東通りを結ぶのが「閻魔坂」です。

外苑東通りから「金魚」の前を通って六本木墓苑沿いに下りていく坂道と言ったほうが分かりやすいですね。

お墓の方へ下る坂道だから閻魔坂という通称なのかと思っていたら、昔はお寺があってそこに閻魔堂があったのが由来らしいです。由緒ある名前なんですね。

ニューハーフのショーで有名な「金魚」を始め、飲食店が立ち並ぶ坂道でパンデミック前は六本木でも有数の猥雑エリアでした。早くここも以前のような混雑が戻ってくれると良いのですが。



六本木の坂道

六本木から北側の六本木通りへ下りていく坂道に対し、麻布十番側へ下りていく坂道もあります。

於多福坂 (おたふくざか)

鳥居坂と麻布通りに挟まれる形で東洋英和女学院沿いの走る坂道が「於多福坂(おたふくざか)」。

坂上のフィリピン大使館から坂下の潮見坂(しおみざか)まで、本当に住宅街の路地で地元の人以外は通る必要もない坂道ですが、そのインパクトある名前からそれなり知名度はある坂道です。

▲名前の由来は坂の途中でいったん緩やかになるから。横から見ると顔の真ん中が低い お多福面のようなので於多福坂だそうです。

今の時代だと女性蔑視も甚だしいとクレームが来そうな由来です。

また東洋英和女学院も含めて付近一帯を再開発する話もあるようで、近い将来この名前はもちろん坂道自体が物理的にどうなるかもちょっと不透明な坂道です。

麻布エリアには再開発で消滅してしまった坂道もあり、早めに歩いておきたいのが於多福坂です。

鳥居坂 (とりいざか)

六本木のメイン通りの一つ、外苑東通りから麻布十番へ抜ける坂道が「鳥居坂」。

東洋英和の辺りから麻布十番側はかなり急な坂道になっていて、ちぃバスに乗って坂道を下る時はけっこうスリリングです。

▲鳥居坂という名前の由来は江戸時代に大名の鳥居家の屋敷があったから。神社の鳥居は関係ありません。

東洋英和の他に国際文化会館やシンガポール大使館に日銀の施設などが建ち並んでいます。

六本木と麻布十番方面を結ぶ重要な道路なので交通量もかなり多い坂道です。

芋洗坂 (いもあらいざか)

六本木で一番名の知れた坂道と思われるのが「芋洗坂」でしょう。

六本木の交差点から斜めに下っていく両サイドには数多くの飲食店が並んでいて、アマンド前で待ち合わせしながら坂の下の方を見れば、わっ六本木だぁと感じます。

▲郵便局の前までは細い一方通行で、そこまでが芋洗坂と勘違いしている人も多いのですが、芋洗坂自体はさらに続いてけやき坂の下までが芋洗坂です。

坂の途中にある朝日稲荷(今の朝日神社)辺りで芋など野菜の市がたっていたのでこの名が付いたようです。そういえば、芋洗坂の先でいつも野菜を売っている行商(?)の人がいるのはその野菜市の名残なのでしょうか。

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麻布台の坂道

外苑東通り終端に近い麻布台も名前から分かるように台地の外れ。そのため坂道も多いのですが、再開発で消滅した坂道がいくつもあります。

雁木坂 (がんぎざか)

外苑東通りの終点、飯倉の交差点のコンビニ前から桜田通りではなく宗教団体の聖堂の方に歩き左へ進むとこの雁木坂です。

▲坂道といっても今はこのように階段になっています。

三年坂や稲荷坂それに落合坂といった坂道が再開発で消滅しましたが、霊友会が再開発に加わらなかったおかげでこの雁木坂だけは今でもこのように残っています。

三年坂と稲荷坂

再開発で消えてしまったのが三年坂と稲荷坂。

飯倉と仙石山とを結ぶショートカットだったのですが、このエリアは日本一の超高層ビルを含む ”麻布台プロジェクト” の敷地になり、今は平坦な土地になっているようです。

在りし日の「三年坂」

これは仙石山側の「稲荷坂」です。

狸穴坂 (まみあなざか)

外苑東通りの南側は住所的には麻布台、麻布狸穴町、麻布永坂町といった住宅街。

なかでも有名なのが「狸穴坂」でしょう。

▲外苑東通りと交わる坂上の様子。右の白い塀の内側はロシア大使館です。

この坂道は外苑東通り側から下りへの一方通行。ロシア大使館の他にアメリカンクラブの建物もあって周辺はいつも警察官でいっぱい。ある意味六本木で一番安全な地帯かもしれません。

▲坂の下にはこんな石碑が建っていますが、比較的新しいもののようです。

植木坂 (うえきざか)

麻布永坂から麻布狸穴へ抜ける坂道が「植木坂」。

ブリジストン美術館永坂分室の前あたりから狸穴へ下ります。

▲かつてこの付近に植木屋があったので「植木坂」と呼ぶそうです。

ちなみにこの付近は日本でも有数のお屋敷街。日本一のお金持ちのお屋敷も麻布永坂ですし、カルロス・ゴーンが逃亡前の保釈中に住んでいた家もこの辺りです。

鼠坂 (ねずみざか)

植木坂を下りて狸穴公園の方に抜けるのが「鼠坂」。

▲写真で車が駐まっている駐車場までは自動車が入れますが、それより下は自動車通行止めです。本当に近隣の人が往き来するだけのマイナーな坂道ですね。

植木坂を下りて外苑東通りへ登る坂道は「鼬坂(いたちざか)」とうい坂道で、坂の途中には明治から昭和にかけての文豪、島崎藤村の旧居跡があります。

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麻布十番(元麻布)の坂道

麻布十番自体は台地の下に位置するのですが元麻布界隈は台地の端。そのため元麻布と麻布十番の間にもいくつか坂道があります。

暗闇坂 (くらやみざか)

”暗闇坂” という名前の坂道は東京はおろか日本中にあるようですが、やはりいちばん有名なのはこの麻布十番「暗闇坂」でしょう。日本のロックバンド はっぴいえんどの「暗闇坂むささび变化」に登場するので音楽ファンにはよく知られていると思います。

▲はっぴいえんどの曲では1964年のオリンピックを契機に失われてしまった古き良き東京への想いが歌われていました。そこで描かれていた暗闇坂の様子もまだ少し残っているかもしれません。

車では麻布十番から元麻布への登り一方通行ですが、人の往き来は比較的多い坂道です。

一本松坂 (いっぽんまつざか)

暗闇坂を登りきったところが変則四つ角になっていて、暗闇坂、大黒坂、一本松坂、狸坂が交わっています。

「一本松坂」はこの四つ角から元麻布ヒルズの下を通り仙台坂へ抜ける坂道です。

▲実際に一本松があるのが歴史を感じます。

大黒坂 (だいこくざか)

その四つ角から麻布十番の街なかへ通じるのが「大黒坂」。

▲このままパティ麻布十番まで通じています。

坂の途中に麻布七福神のひとつ大黒天を祀る大法寺があるので大黒坂と呼ばれています。


西麻布(元麻布)の坂道

西麻布の中央を通る外苑西通りも谷筋なのでその周辺もやはり多くの坂道が通っています。

牛坂 (うしざか)

西麻布の住宅街を六本木通りと並行して走る坂道が「牛坂」。

並行する六本木通りを比べなぜか傾斜がきついように感じる坂道です。

▲車は外苑西通り側から日赤通りまで登りの一方通行。坂の途中に有名な「若葉会幼稚園」があり、送迎の時間帯には多くの高級車がこの坂を登っていきます。

狐坂 (きつねざか)

六本木から有栖川公園へ向かう旧テレビ朝日通りはちょっとした尾根になっていて、麻布十番側や外苑西通りへ下る坂がいくつもあります。

そのうち麻布十番へ下るのが「狐坂」。

▲左手に中国大使館やアラブイスラーム学院などを見ながら坂を下ると元麻布です。

坂を下りきったところが変則四つ角になっていて、麻布十番へ抜けたり狸坂を登って(徒歩の場合)元麻布ヒルズ方面へ抜けることができます。

狸坂 (たぬきざか)

「狐坂」で下ったあと、そのまま真っ直ぐ進むと「狸坂」です。

人を化かす狸が出没したのでこの名が付いたそうです。狸に狐に狸穴と江戸時代の麻布エリアは江戸の郊外という感じだったのでしょうね。

▲路面に滑り止めの切り込みが入っているのでかなりの勾配だということがわかります。

以前坂の中腹に結婚式場があった頃は知らずにハイヒールで参列して人が歩くのに苦労したみたいです。

坂の上は元麻布の例の変則四つ角。暗闇坂、一本松坂、大黒坂それと狸坂が交差する四つ角です。ただ車の場合は坂上からの一方通行です。

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南麻布の坂道

台地の南端に位置する南麻布。ここも古川を谷筋にする明治通り側へ下りる坂道が多いですし、また細かい谷が入り込んでいるので東西方向も小さな尾根や谷を上り下りする地形です。

奴坂 (やっこざか)

「奴坂」は本村小学校や(閉園した)「釣り堀 衆楽園」が底になるエリアから本村公園にかけて登る坂。

釣り堀があったくらいなので、昔は池などがあったのかもしれません。

▲ほんの100mもあるかどうかの短い坂道。左に見えるマンションの明かりが点いているのが「MISA SHIN GALLERY」というギャラリーです。

坂下の本村小学校からはまた上り坂になっていてフィンランド大使館のところまでを「阿衡坂(あこうざか)」といいます。

奴坂を登りきって右に曲がると「薬園坂(やくえんざか)」。イラン大使館の前を通って明治通りへ抜ける坂道です。

また、薬園坂の中腹から細い路地を入ると「釣り堀坂」です。タモリさんの「坂タモリ 港区編」でも取り上げられている坂道ですが、坂道の半分は階段です。

青木坂 (あおきざか)

南麻布のフランス大使館脇の坂道が「青木坂」。

一本脇に「新富士見坂」という曲がりくねった坂道があるのですが、以前はこの青木坂が「富士見坂」とも呼ばれていたようです。

▲標柱の記載によると、この北側に旗本の青木氏の屋敷があったので「青木坂」と呼ばれたそうです。

標柱の向こうに見える大きな門扉はフランス大使公邸。革命記念日(いわゆるパリ祭)など、よくパーティーが行われている様子が見えます。

▲これは青木坂を坂下から見たところ。路面に切り込みが入って急坂だということが分かります。

今は富士山は見えませんが昔はやっぱり見えたのでしょうね。

これまで麻布ガイドで紹介してきた坂道をメインにまとめてみましたが、「坂タモリ 港区編」では87の坂道が取り上げられているようです。

それらの坂道を巡ってみるのも良いでしょうし、港区内をあちこち散歩しながら寄り道してみると思わぬ由来の坂道が見つかったりするかもしれません。

気候の良い秋の週末の坂道巡りも楽しいと思います。




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記事の評価
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2 comments

  1. 当選おめでとうございます!
    坂道スタンプラリーは健康と実益を兼ねたナイスな企画でしたね。

     
  2. 以前坂道スタンプラリーの記事にコメントしたものです。まさかの私も夫も当選、丸万の和菓子と、東洋水産の商品をいただきました。
    思いの外豪華で、我が家の糖分・脂質摂取に一役買ってくれています。
    ご案内いただき、ありがとうございました。

     

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